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飯田のリンゴ並木の歴史

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部屋の模様替えしました。クリスマスモードで(笑)


前回投稿記事の補足です。

飯田のリンゴ並木の歴史です。
今は、札幌と姉妹都市になっていて、この後、札幌にもリンゴ並木ができたそうです。
ちょっと紹介します。



昭和22年4月20日、街の一角から発生した火事は、折からの強風にあおられて市街地の4分の3(60万平方m)を焼き尽くす不慮の大火となった。実に終戦から二年後の平和憲法が制定されてから間もない頃であった。市では、もう決してこんな悲しみを繰り返してはならないという市民の願いを受けとめて、防火都市建設をめざすことになった。そのために、市街地を東西南北に貫く25メートル道路緑地帯が防火帯として作られていった。

 昭和27年夏のことである。たまたま、北海道で中学校長の会議が開かれた。東中学校長松島八郎先生はこの会議に出席するために、遠く北海道へ渡った。

 校長は札幌の町を歩いてみて、そこの道路の広く立派なのに驚いて、うっそうと繁っている街路樹の美しく涼しげなのにも感嘆した。そして当然のことながら、故郷の町の殺風景で、しかも、まだ焼け跡の残骸があちこちにうずくまって、汚い街路を思い出した。校長は一市民として、そのことを心から残念に思ったに違いない。

 間もなく帰校した校長は、朝会の壇上に立ったとき、急に北海道の町の美しいことが頭に浮かんだ。校長は、北海道の町のことを話して聞かせた。校長の話は、飯田の街の焼け跡の汚いことにもふれた。街路樹の必要なことも話した。そして最後にはヨーロッパにあるという、りんご並木のこと、落ちた実を気づいた人が傍らの備え付けの篭に入れて行くのを当然の行いとして実行しているという話にも触れた。

 校長の話には、巧まない感動があった。そして、その感動は、心の素直な少年少女の脳にも伝わった。生徒たちは美しい絵でも見るように、校長の言葉が描き出した町の風景を想像した。

 赤いりんごの実のかがやく並木道・・・春には白い小さな花が咲いて、チョウやハチがそのまわりに群れ飛ぶだろう・・・青い空と白い雲とあたたかい光とそよ風・・・赤い実がみどりの葉陰にびっしりと成っている下をくぐり抜けて通う生徒・・・外国にあるというなら、日本にあってもいいことではないだろうか。日本にあってもいいことなら、この飯田の町にあってならないはずがない・・・「自分たちの手で美しい町をつくろう」という考えに発展した学友会の清掃部の仕事が、何かのきっかけで「自分たちの手でりんご並木を作ろう」という考えに結びつくことは当然であろう。しかも、このりんご並木の考えが生徒たちの心に芽生え日とともに大きくなりつつあった。ちょうどその時、東中学校の清掃部はその働きを誉められて、文部大臣の表彰を受けるようなことが起こり、このことは生徒たちの心を決定的にした。さっそく学友会の委員達は「りんご並木を自分たちで作ろう」ということを提案した。昭和27年9月から真剣な討議が行われることになった。そこで委員達の考えがまとまり、このことを校長に相談しお願いすることにした。校長も大変よろこんで全職員に相談した。誰も反対する者はいない。しかし学校だけで出来る事ではなく、先生や学友会長たちが市長や助役のところへ行って「植えた木の世話はわたしたち学友会でしていきますから」と頼んだ。りんごの栽培は難しい。費用もかかるし管理も容易ではない。だから柿の木でも植えてはどうかといわれて、引き下がったこともあったが、数回にわたる生徒たちの熱意によって市長や助役も喜んで協力してくれることになった。

 しかしこの計画が、市民に知れると、「街の真ん中にりんごの木を植えたって、たちまちその実を盗まれるに決まっているじゃないか」と笑う人もいた。中学生たちは「美しく赤く実った姿を見れば、誰も手をつけないだろう。いや、誰も手をつけない、そういう都市をつくりたいものだ」・・・こうしてりんご並木の計画はすすめられていった。しかし、困った事は苗木の事である。3、4年の後には間もなく実るものが欲しかったのである。

 その年の11月に、伊賀良の北方の人で、近くの農園でりんごの若木を手放してもいいという人があったので市役所と相談の結果、その若木を市役所で買ってもらうことにした。若木は五年生の成木で十数本しかなかったので、他を探したところ、運良く同じ伊賀良中村で三年生の成木が20本見つかり1本200円で売ってもらえた。苗木も予定通りの本数に達したので昭和28年9月のある日曜日に約1500人の全校生徒で、市役所から道具を借りて扇町公園から公民館までの長さ400m、幅25mの大通りに苗木を植える穴を掘り始めた。穴も大火後の焼け跡だけに、石やレンガなどがあり、決して容易には掘れなかった。けれども、そんなことをいっこうに苦にする様子もなく、生徒たちは掘り続けた。11月8日、秋晴れの日に、三年生は市役所のトラックを使って、若木を掘り起こして運び、二年生は掘り足りない穴を掘り、一年生は緑地帯の草を取って穴まで運び、こうしていよいよ木が植えられた。水を注ぐ者、土をかぶせる者、木を立てる者、仕事はどんどんはかどって40本の若木は約9m間隔で見事に植えられたのである。

 生徒たちの手でこうしてやっと植え終わったことの感激は、いかばかりであろう。生徒たちは夢を果たした。そして、前にも倍して人生に対する確信と勇気とを与えられたのである。

リンゴ並木の話に興味のある方は、読んでみてください。


by tarutaru953 | 2016-11-26 21:20

日々是好日、何もない日などない!嬉しい事も悲しいことも・・・


by tarutaru953
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